フォロ・ロマーノは広場の始め

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紀元前753年4月の建国以来、地中海沿岸全域からブリタニア、メソポタミア地域までを含む広大なローマ帝国の首都として、1000年以上君臨したローマ。
ローマが「永遠の都」と呼ばれるのは、2000年を超える歴史を有した街だからこそ。コロッセオの隣にあるフォロ・ロマーノには、古代ローマ帝国の歴史がギュッと凝縮されています。

古代ローマでは、政治と宗教の中心となるフォルム(広場)が各都市に造られました。英語のフォーラムの語源であるフォルム(広場)は、市民が集まり政治を討論する場所。フォロ・ロマーノは、帝国の首都ローマに造られた最初のフォルムなのです。

東西約300m、南北約100 mの細長い遺跡には、日本の国会にあたる「元老院議事堂(クーリア・ユリア)」をはじめ、司法や行政に使用された「ユリウスのバジリカ」などがあり、帝国の政治や経済の中心地であったことがわかります。
1980年、ローマ歴史地区として世界遺産に登録されたフォロ・ロマーノを今の形にしたのは、クレオパトラとの熱愛で有名なユリウス・カエサル。

カエサルは様々な建物でゴタついたフォロ・ロマーノの整理を発案し、彼の暗殺後は後継者の初代皇帝アウグストゥスが引き継ぎ、ベースが完成します。この上に歴代皇帝が様々な建物を建て、現在の形になりました。
4世紀に帝国の首都がコンスタンティノープルへ遷ると、広場は荒廃し土砂に埋まっていきます。やがて放牧場にされてしまいますが、そのため土の下の遺跡はほとんど無傷で残りました。しかしルネッサンス期になると、新しい建物の装飾のため掘り起こされた遺跡から装飾が剥ぎ取られ、破壊が進みます。現在は厳重に保護されていますが、様々な時代の遺構が混在するため発掘調査は難しいようです。

これらの理由から遺構しか残っていない建物も多いのですが、「アントニヌス・ピウス帝とファウスティーナの神殿」のように保存状態が良いものもあります。
遺跡東端の「元老院議事堂(クーリア・ユリア)」は残念ながら20世紀に復元されたものですが、真向いにある白大理石製、高さは23m、幅25mの「セプティミウス・セウェルス帝の凱旋門」は、二度のパルティア戦争勝利を記念し203年に建てられたもの。
ここから「ティトゥス帝の凱旋門」に向けて伸びる道は、「聖なる道(ヴィア・サクラ)」と呼ばれ、歴代皇帝が凱旋式を行った神聖な大通りです。

他にも、神殿入口の8本の円柱が残る「サトゥルヌスの神殿」や、「ヴェスタの神殿」とその隣にある「ヴェスタの巫女の家」など見所は豊富。
遺跡西端にある「考古学博物館」では、フォロ・ロマーノで発掘されたものが展示されています。